第10回 子どものまち・いえワークショップ提案コンペ 審査員講評

第10回 子どものまち・いえワークショップ提案コンペ審査員の先生方の講評を公開いたします。
このコンペのみならず、様々なフィールドに活きてくる言葉がたくさん散りばめられております。

中津秀之/関東学院大学 建築・環境学部 准教授

今年度は46作品の応募があり、各地の大学の先生をやっている友達に「応募してほしい」と依頼した立場として、非常にうれしく思う。
受賞者が決まり、「勝った」「負けた」と思っている人が当然いると思うが、「勝った」とか「負けた」と考えないでほしいというのが一番伝えたいことだ。動画(http://kodomo.aij.or.jp/)で話したが、子どもについて考えることを、自信をもって継続してほしい。これは一番やらないといけないくらい重要なことだと思う。大学を卒業してからもずっと続けてほしい。人によっては、子どものワークショップは、子どもを利用して、大人が考えていることをまちに押しつけているのではないかという見方をする人もいるが、そんな人はほっておいて、子どもたちが自分たちのまちをどんどん好きになるようなことを考えてほしい。
まずは実行しよう。賞を取っていない人も、自分たちでやることを考えてほしい。大学生のうちは何をやっても許される非常に重要な人生で最後の特権階級なので、子どもたちを相手にまちでワークショップやイベントをどんどんやろう。経験すればするほど、技術やコツがわかる。学生のみなさんが将来さまざまな業界に進んだときに、まちがいなく一生の宝物として使えるものになる。これからの活躍に期待します。

木下洋介/構造家、木下洋介構造計画

 私は構造設計をやっているので、エンジニアリングの視点で設計をしているが、今日は3人の子どもの父親として、子どもが楽しめるかどうか、という子育てする目線でも審査した。
 子どもはとても感性が豊かだ。大人になれば、知識、技術、経験などが蓄積されるが、感覚的なところは年々衰えてくる。そう考えると、子どもだけが気付いている、感じていることがあるはずだ。子どもたちには技術や知識がないだけで、自分たちの何倍も感じることがあり、何かのきっかけで花開くことがある。そのきっかけになるワークショップの提案がたくさんあった。
 最後に、音に関するワークショップで、「ドアを緑色に感じる」という意見は、自分にまったくない感覚だった。今日の審査で我々が取りこぼしている提案のなかにも、審査員側に感性がないだけで、おもしろいものもあるはずだと思う。たまたま今日の審査員の5人に伝わらなかっただけで、いつか感じてくれる人がいるはずので、続けてやってほしい。

土肥潤也/コミュニティファシリテーター

 自分は大学院で都市計画やコミュニティデザインを学んだが、どちらかといえばソフトが専門であり、(ハードの専門家が多いという意味では)門外漢なのかもしれない。ただ、普段はファシリテーターとして仕事をしており、今日発表されたみなさんとも年齢が近いので、プログラムのおもしろさや若い視点から評価をさせていただいた。
 どの提案も、コロナウイルス感染拡大時の対応策としてオンラインでの対応を検討していて、きちんとリスクヘッジされていることが素晴らしいと感じた。また、提案のなかには、着眼点のおもしろいものがあり、自分にとっても大きな発見だった。
 他の先生方も指摘している通り、今回は審査員の主観で選んでいるので、選ばれたから良いわけではない。今日の評価に限らず、ぜひ提案したワークショップを実践に移してほしいと思う。ワークショップのプログラムは、実際にやってみてからわかることの方が多い。むしろ計画だけでは気づかないことがたくさんある。
全体として、とても刺激的な会だった。素晴らしい提案をしてくださった皆さんにお礼を伝えたい。

田中稲子/横浜国立大学 准教授 

 以前より、環境の視点から審査をしてほしいと要望されていたが、今回、初めて審査に参加できた。46作品もあると思っていなかったので、聞いている皆さんも大変だったと思う。
 環境工学が専門なので、環境への気づきを与えられるようなワークショップを期待していたが、音に関する提案など興味深い提案がいくつかあった。
 それ以上に、「まち・いえワークショップ」という名前のせいか、まちを存分に歩いて知るという提案が多いと感じた。建築学会では学校教育支援部会が学校でワークショップを行っているが、学校の先生自身もまちや建物のおもしろさを知らない人が多い。そういう意味では、今回の提案は、さまざまな地域でまちを楽しむ、建築を楽しむ企画を考えてくれていて、たとえ選ばれなかったとしても、ぜひみなさんの大学の近隣の小学校の門をたたいて企画提案に行っていただきたい。ちょうど小学校3年生でまちあるきの授業があり、先生方は学習プログラムを求めているので歓迎されるだろう。選ばれなかったみなさんも地域の方々と連携して、まちをつくるということ、そのおもしろさを子どもたちに伝えるということを、ぜひ続けていっていただきたい。

【審査委員長】山梨知彦/建築家、日建設計常務執行役員

 数年連続で審査委員長を引き受けているが、このコンペがとてもおもしろいのは、課題を出す我々と、回答する学生が、「子どもをどういうものと捉えているか」が打ち出されている点だ。
 最初に審査員をしたときに、アリエスの「子供の誕生1」を紹介し、「子どもという概念が発見されたのはつい最近だ」と伝えた。それまでは、子どもは「小さな大人」と捉えられ、大人と同じように働いていたが、社会が豊かになり、子どもを大人とは分けて捉えられ、保護する対象になったのは、実はごく最近のことだ。そこからさらに発展して、「どういう人を子どもとして捉えるか」が暗黙のうちに映し出させる点がおもしろいと思う。今回、最優秀賞や優秀賞に選ばれた提案は、逆に言うと、もはや子どもという概念は一つではなく、ある時間の中で、大人も子どもの心を持っている点に触れたものが上位を占めたと思う。だから、子どもの概念を固定したものではなく、「大人も子どもになる瞬間がある」「子どもも大人になる瞬間がある」というように広いスタンスで子どもを捉えないといけない時代が来たと今日みなさんの回答を聞いていて思った。
 ぜひ考えてほしいのは、子どもは、世の中に当たり前に存在するものではなく、我々が考えて、人類の中からある部分を切り取って、「子ども」と名付けているにしかすぎないということだ。この枠組み自体は常に変わり、「どういう人を子どもとして捉えるか」が、その社会の考え方の現れになる。この点に敏感でなければいけないと思う。このことで気づかせてくれるすごくおもしろいコンペなので、審査員を引き受けているが、今年も非常に勉強になった。
 今年度は応募作が多かったので、そういうときは駄作が多くなりがちだが、クオリティの高いものが多く、それもうれしかった。ぜひこれを機会に、子どもを固定した層ではなく、社会が、ある層を「保護しなくいけない」「守らなくてはいけない」ものとして囲っているということをよく考えてほしい。誰を、どういう人を、なぜ「子ども」と考えなくてはいけないか、ということから現在の社会を考えてほしい。これを総評として贈りたい。

引用文献
1)Philippe Ariès, L’Enfant et la vie familiale sous l’ Ancien Règime,1960
日本語版は、フィリップ・アリエス (著), 杉山 光信 (翻訳), 杉山 恵美子 (翻訳):「〈子供〉の誕生―アンシァン・レジーム期の子供と家族生活」、みすず書房 、1980